二見豆知識

arrow1.名勝 二見浦とは

1.興玉神石(おきたましんせき)と太陽信仰
夫婦岩のある岬は立石崎と呼ばれ、古来、神の世とつながる神聖な場所と信じられてきました。 本来のご神体は、今は海の中に沈んでしまいましたが、夫婦岩の沖には興玉神石があります。 興玉神石は、東の彼方にある神々の国からやってくる神が最初に寄り付く聖なる岩とされています。
夫婦岩は、この興玉神石の門石(鳥居)です。夫婦岩に張られている大注連縄は、神の世と俗界とを隔離する結界と言われています。 神々は興玉神石により、下界によみがえります。東の空が明るく輝き、太陽が昇る瞬間を、神の再誕だと感じたのでしょう。
一番象徴的な瞬間が、夏至の太陽です。夏至には夫婦岩の間を通して神石の真上から、一年で一番力強い太陽が昇ります。
2.立岩浜と禊(みそぎ) (垢離(こり)
近年まで夫婦岩のある岬が立岩崎、夫婦岩は立岩と呼ばれていました。夫婦岩周辺の浜を立岩浜と言い、神々の国から打ち寄せる波が最初に届く神聖なる浜と信じられてきました。神仏に参拝する時、水を浴びて心身を清めることを垢離と言います。立石浜は神宮の垢離場とされてきました。 今でも正式に参宮する時は浜参宮と称し、この浜で身を清めるのがならわしです。そして、この禊の浜が後の明治15年、最初の海水浴場となりました。
3.二見と製塩
ヤマトヒメが現在の伊勢神宮の地に向かう途中、二見浦に立ち寄りました。この時、サミツヒメが出迎え、堅塩を献上したと言われています。以来、二見は伊勢神宮の塩を焼いていくことになりますた。サミツヒメをお祀りしているのが、表参道の南にある堅田神社です。昔は立岩崎のところから堅田神社の前、現在の役場の浦辺りまで海が入り込んでいたと思われます。その周辺で盛んに製塩が行われたのです。立岩崎への参拝者が通る道筋に塩を焼く為の塩屋の一つがあり、この脇で茶屋を始めたのが二見浦の旅館街の始まりと言われています。

arrow2.二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)とは

二見興玉神社 ここにお祀りされているのは、天孫降臨の際にニニギノミコトの道案内を務めたとされるサルタヒコです。古来より、交通安全、善導の守護神として広く信仰されています。 また、この境内の少し先には、海の神様であるワタツミノオオカミを祀っている竜宮社があります。寛政4年(1792)5月15日、大風水害に襲われた江村では、多くの被害が出ました。。そこで大江寺の住職、尊実(そんじつ)和尚は、今後は水害から逃れる為に竜神を鎮めようと、江川河口に祀りました。これが現在の位置に移転され、竜宮社と呼ばれるようになりました。 二見興玉神社がある場所は、本来は太陽の恵みと心身の再生を願う太陽信仰と禊の場でした。それが本来の二見浦の歴史的存在意義です。そこへサルタヒコとワタツミノオオカミが寄り集まって、現在の二見興玉神社が成り立っています。

arrow3.天の岩屋とは

西の参堂突堤のほとりに東面の岩窟があります。この岩窟は古くから石神(しゃくじん)といわれていました。ウガノミタマノオオカミを祀った三宮神社の遺跡であり、日の出に対して日の入りに関する信仰を集めました。

arrow4.夫婦岩とは

夫婦岩とは 夫婦岩は、その700mほど沖にある興玉神石の門石、すなわち鳥居の役目をしています。大きい岩、つまり男岩のほうは立石と呼ばれ、高さ9m、周囲約40mです。小さい岩、つまり女岩のほうは根尻岩、高さ3.6m、周囲約9mです。根尻岩は大正(1918)の台風で倒れ、その後修復固定されました。両岩の間に張られている5本の大注連縄は古式(注連縄打ち)によって調製されています。1本の重量が40kgで長さが35m、立石(男岩)に16m、根尻岩(女岩)に10mが巻かれ、その間の長さは9あります。これが神の世と俗界の結界の縄と言われています。 この大注連縄は、5月5日、9月5日、12月下旬の年3回張り替えられています(夫婦岩大注連縄張神事(おおしめなわはりしんじ))。一切の不浄を祓って日の大神及び興玉神石遥拝の鳥居に献ずるという意味を込めた行事です。 4月~8月の間には両岩の間から差し昇る朝日の姿を拝むことができます。両岩の中央から太陽が昇る夏至の日には夏至祭が行なわれます。

arrow5.禊(みそぎ)(浜参宮)とは

古来より伊勢神宮領に住む人々は、竜宮に関する行事に参加する際には、禊をして心身を清める習慣があります。 このように二見浦は禊の場として、古くから人々の信仰を集めてきました。 しかし、二見興玉神社がこの地に建てられてからは、夏至祭以外では実際に海水に浸かって禊をすることが少なくなりました。二見興玉神社に参拝し、身を清める為のお祓いを受けることが一般化していきました。 これを「浜参宮」と言います。 行事に先立ち、二見興玉神社へご参拝、興玉神石周辺より採取した無垢塩草でお祓いを受け、心身の清めを祈るのがならわしです。

arrow6.二見かえる(蛙)とは

二見かえる 明治の中頃まで夫婦岩(立石)は、海中の興玉神石及び日の出の遥拝所として、正面に大三方(だいさんぼう)が置かれていました。その三方の中に小注連縄やお供え物と一緒に蛙が供えられていました。 どうして蛙がそのように扱われるになったかには諸説あります。夫婦岩の東方、飛島に伝わる白蛇伝承や、昇る朝日を竜神にたとえた信仰等により、蛙をお供えするようになったのでは、という説があります。 興玉神社の祀神でもあるサルタヒコが天孫降臨の際にニニギノミコトの道案内をされたという神話があります。ここに、蛙の語呂が「無事帰る」につながることが相まって、蛙が「猿田彦大神のお使い」のように扱われるようになったと考えられます。 その後、祈願の際や願いが叶ったお礼に蛙の置物が奉納されるようになりました。現在では、「無事帰る」や「落し物や出て行ったお金が返る」といった語呂合わせで、お守りとして親しまれるようになっています。 また、大注連縄奉曳きに先立って、「二見かえる音頭(子供かえる踊り)」が行われます。これは「二見かえる」に由来する伝統芸能です。

arrow7.大注連縄の調整(注連縄打ち)とは

夫婦岩に張られる大注連縄を作る作業です。昔は1月11日、5月11日、9月11日に興玉社後に(二見興玉神社)の蔵座敷で作ることとされていました。現在では江区会所前で年3回行なわれています。 大注連縄は、全国の方々の御奉献と氏子の方々の手によって調整されます。 各組から当番が一人ずつ出て、朝から藁を集め、数人の縄作り熟練者の応援を得て5本の大注連縄を、昔ながらの手法で作り上げます。特に「伝統行事 二見大祭しめなわ曳」を前にした時期は、「名勝二見浦 夫婦岩大注連縄の会」も加わって大々的に行なわれています。

arrow8.二見例大祭

二見興玉神社を夫婦岩前に奉遷された明治30年以来続いているサルタヒコ・ウガノミタマを祭るための例祭です。例年、7月14日、15日に執り行われています。

arrow9.伝統行事 二見大祭しめなわ曳とは

「伝統行事 二見大祭しめなわ曳」は、夫婦岩に張られる大注連縄5本を奉曳車に載せ、奉曳車を曳きながら夫婦岩表参道を練り歩く伝統行事です。二見興玉神社へ大注連縄を奉納するために行われます。地元の人たちを始め、県内外の多くの人たちが参加できる「参加型」・全国的に通用する夏の風物詩となり得る「個性型」の祭りとして創り上げられました。大注連縄奉献の意味は、一切の不浄を祓って家屋隆昌・延命息災・縁結び・交通安全・海上守護を願うことにあります。
開催日は、曜日関係なく、7月14日としております(荒天の場合は延期)。 大注連縄曳は、木遺音頭・法螺貝の音に合わせ、木製奉曳車を軋ませるながら出発し、威勢のいい掛け声とともに夫婦岩表参道を練り歩きます。 夫婦岩表参道最後の約200mでは、海岸に打ち上げられる花火が出迎える中、曳き手が全力疾走する「エンヤ曳」が行われます。この時、奉曳車の車輪は煙を吐きながら地響きを立てて唸り、人々の興奮は最高潮に達します。 二見興玉神社鳥居前に到着後、奉曳車に載せた5本の大注連縄は、法螺貝の演奏の中、二見太鼓の迎える本殿へ運ばれ、木遺音頭とともに奉納されます。

arrow10.練りとは

曳き手たちが綱を上下に振りながら、ゆっくり、または激しく引いて歩くことです。 奉曳車を曳く2本の綱を挟んで向かい合った引き手たちが、綱を持って道いっぱいに広がったり、お互いに相手を激しく押し込み、道の中央ででぶつかりあったりします。その様子は大変勇壮で、迫力に満ちています。

arrow11.エンヤ曳とは

夫婦岩表参道の、約200mに及ぶ最後の直線を木遺唄の合図の元、曳き手が一斉に走って勢いをつけて曳くことです。 重い奉曳車のため、事故の危険性もあります。例えば、転んで将棋倒しになる、奉曳車に轢かれるなどといった事故が考えられます。こうした事故を防ぎ、安全に走らせるには梃子係の操縦の手腕に掛かっています。エンヤ曳は、高齢者・子供・泥酔者の方々のご参加はご遠慮いただいております。

arrow12.奉曳車とは

しめなわ曳で大切な大注連縄を載せるための木製の奉曳車です。奉曳車の車輪は、直径1m 厚さ35cm重量約250kgで、熱帯アフリカ原産のブビンガという木で作られています。この木は、強度・耐久性・弾性・接着性に優れ、折れや裂けに対しても粘りによる耐久性が発揮されます。特に害虫に強いという特性があります。そのため、奉曳車の車輪に適しています。

arrow13.椀鳴りとは

奉曳車の車輪と車軸がこすれて出る音を「椀鳴り」と呼びます。回転を受ける部分は円錐状のお椀状になっているため、このように呼ばれると考えられます。法螺貝のような音が鳴り、細かな振動が綱に伝わってくるのが良いとされています。良い音を鳴らすのは難しく、奉曳車係(大工)の手腕に掛かっています。摩擦を緩和させるために、車輪と心棒の間にチョークを入れる場合もあります。

arrow14.試し曳とは

奉曳車の組み立て、点検、椀鳴りの具合の確認などをします。この行程は、曳綱係にとっても曳き手としての重要な予行演習となります

arrow15.木遺(木遺唄)とは

木遺とは、本来は『大きな岩・木材を大人数で掛け声を掛けながら引くこと』という意味です。大人数で力を合わせて行う運搬には、指揮者の号令が必要であり、この号令の役目を担うのが木遺です。木遺唄で全員の士気を高め、曳き手はそれを受けて力を合わせる『日本人独特の労働の唄』といえます。 木遺唄に対して、曳き手の合唱を『受け』というそうです。『よぉ~いとこ、よぉ~いこせぇ~』という掛け声がが受けとなります。これは、『よい所、よい所伊勢』という言葉が変化したものと言われています。

arrow16.木遺子の幣(へい)とは

『幣』という呼び方は、御幣(幣束の敬称)からきています。 二見浦茶屋木遺保存会は、自分達で木を選択し、削り、1枚ずつアイロンをかけて伸ばし、束ねております。 幣の材料となるのは、柳が中心となりますが、桧となる場合もあります。 従来は1本あたり約365枚を束ねていましたが、現在は少しでも重さを軽減する為280~300枚を束ねています。

arrow17.木遺子の衣装

二見茶屋木遺保存会の衣装の龍神は、二見興玉神社内竜宮社(りゅうぐうしゃ)に由来しています。 18.蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんかもん)とはスサノオが暴風に会い、一夜の宿を求め、蘇民が暖かく迎えて一夜の宿を貸しました。やがて、スサノオは疫病がやってくることを察し、蘇民に芽(ちがや)の輪を作って家にかけさせました。翌日になると蘇民の一家を除いて村中が疫病の被害を受けました。 スサノオのこの神話に由来し、この地では災いを防ぐ為に「蘇民将来子孫家門」と書いた札の注連縄を1年中飾るようになったと言われています。

arrow18.蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんかもん)とは

天照大神の弟とされている素盞鳴(すさのおの)命が根の国へ下る際、暴風に会い一夜の宿を蘇民将来の兄に求めたが、裕福な暮らしをしているにもかかわらず拒み慈悲の心の厚い弟の蘇民が暖かく迎えて一夜の宿貸し栗の祖飯を差しあげました。素盞鳴(すさのおの)命はアサハの国から暴疫鬼来することを察し蘇民に芽(ちがや)の輪を作って家にかけさせたところ、翌日になると蘇民の一家を除いて一村みんな疫病の被害にあいました。 素盞鳴(すさのおおの)命は、別れる時疫病が入らないようこれから「蘇民将来子孫」としてかかげよと言われ、それからというものこの地では災いを防ぐ為に「蘇民将来子孫家門」と書いた札の注連縄を1年中飾るようになったと言われています。

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